宮古島島民遭難事件

1872年。中国より朝貢帰りの琉球の船が難破し、台湾に漂着。
69人のうち54人が現地の蛮族に斬首されるという事件。
土地の有力者の楊友旺をはじめ善意のある人々により生き延びた人は救われたが、その後、清国の公吏として駐在していた柳原前光の知るところとなり外務省に通達され明治政府を騒然とさせた。

この事件から端を欲して台湾出兵が行なわれた。

琉球は日本の領土

この出兵を契機に明治政府は清国へ「琉球は日本領土のため出兵」と一文を添えた公文書で打診。
清国はこれを了承したが、正確には日本の領土と認識しておらず後に揉めることになる。

 

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