第31代アメリカ大統領。共和党所属でフーバー研究所を設立。
貧しい家で生まれ、両親を早く亡くす。その後に叔父を頼りにスタンフォード大学に奨学金で入学。同校で地質学を専攻。自ら掘削機を発明して、廃坑となった金山跡から均衡を掘り直して富を得た。
カリフォルニアをはじめオーストラリア、シベリアと各地の廃坑から金を掘り当てて40代にして大富豪となった。
クエーカー教の精神性を実践
彼の金を掘り当てて得た資産は400万ドル(今の日本円で400億円)にまで達し、フーバーは当時のアメリカでは類を見ない若さで巨万の富を手に入れた。そして彼は、熱心なクエーカー教の信徒でもあったことから慈善事業にも熱心に力を注いだ。
彼の惜しみない寄付がきっかけか、彼が卒業したスタンフォード大学出の成功者は寄付の競争をしたくらいだという逸話もあるほどに影響が大きかった。
こうして慈善活動が注目を集めて、政治家への道が開かれることになった。
1921年から商務長官をつとめ、大統領選で圧勝
押されて政治観を道を進み、大統領にまで上り詰めたフーバーだったが、就任直後のニューヨークの株価暴落から端を欲した「世界恐慌」に巻き込まれることになった。
どうしようもない不景気に無策だと批判を浴びる事なったが、誰がトップに立ってもどうしようもない景気のどん底であった。
世界恐慌ではじめた方策
フーバーは共和党所属のため、連邦政府が強くなると国の柔軟性が弱くなることを懸念していた。そのため、できるだけ経済危機も「州が中心」になってやろうという姿勢で対応につとめた。州のガバナーが州民の動きを駆使して不景気から脱する事を目指した。
その最たるものが「積極財政」による公共事業への投資だった。
道路やダムなどを作り、そこに何千人、何万人もの人を雇って失業者を救済する施策に打って出た。実のところケインズが主張する前から積極財政による景気対策を行っていたことはあまり知られていない。
しかし、その効果も乏しく次期大統領のルーズベルトより批判を受けることとなった。
第二次世界大戦への懸念
その後の第二次世界大戦への世界情勢については彼はアメリカの戦争参加に強く否定的であった。
また世界中の共産化を懸念していたため、ドイツが「バルバロッサ作戦」を契機にソ連と開戦したことに対しても2国間が潰し合いになることを望んでいたように見受けられる。
また日米開戦を回避すべく水面下では努力をしており自分の次に大統領に就任したルーズベルトの日本への歩み寄りを促していたが、ルーズベルトはソ連を支援し、日本には経済封鎖など圧力をかけて戦争へと仕向けて行った。
戦後の日本へ食料援助
第二次世界大戦後。敗戦した日本を統治するGHQのトップであるマッカーサーをフーバーは訪れている。
占領下の日本に滞在する間、3回の訪問を重ねて日本の現状から食糧支援を買って出る。当時の食糧事情はやっと国民が生きているという感じで、国民が暴徒化する恐れをGHQも感じていた。特に共産主義者によるアジテートをフーバーはヨーロッパで見てきているため早急に手を打つことにした。
